2006年04月03日
安井至 インタビュー
食に「100%の安全」などありえない
食の「安全・安心」がしばしば語られるが、そもそも「食べ物」とは何だろうか。
農業とは、自然の恵みをいただくだけの営みなのだろうか。
ウェブサイトを通じて、環境を巡る世間の〝常識〟に科学のメスを入れる安井至氏に、食と農の本質論を語ってもらった。
国際連合大学副学長
工学博士
安井至
やすいいたる
(プロフィール)
1945年東京生まれ。東大工学部卒。
東大生産技術研究所教授をへて現職。
専門は環境材料科学、材料設計法、環境総合指標。
著書に「市民のための環境学入門」「環境と健康―誤解・常識・非常識」などがあるほか、
ウェブサイト「市民のための環境学ガイド」(http://www.yasuienv.net/)を運営。
――ウェブサイト「市民のための環境学ガイド」は、どのような考え方に基づいて運営しているのですか?
安井●
私の研究テーマは環境とサステナブル・デベロップメント(持続的発展)、
つまり地球環境と人間活動のバランスをいかにうまくとるかということです。
できるだけ地球をすり減らさないで、かつ人間が幸せに暮らす。
サイトではそのための方向性を模索し、理論付けしたいと思っています。
――環境にとっての人間とはどんな存在なのでしょうか?
安井●
ホモサピエンスとは、地球の歴史を長期的に眺めると、せいぜい十数万年前、要するに「ごく最近」になって現われた新参者にすぎません。
ところが、この新参者は結構、勝手な生き物でして、短い期間にこれほどまでにのさばって、地球の姿を変え続けてきたんですね。
――その営みの中には農業も含まれます。
安井●
そうです。ですから最近よく「食の安全・安心」と言われますが、その前にまず「食って何?」というあたりから考え直した方がいい。
人間は思い上がりが激しい生き物ですから、食物とは「人間のため作られた物」だと思いがちです。
これは基本的に間違いで、人間は、自分よりも前から地球に存在していた「他の生物」を食べているにすぎません。
もちろん、作物や家畜の場合、品種改良などの努力が重ねられましたが、生き物である以上、食べ物は神によってもたらされたものでも、
地球から与えられたものでもありません。まずその点を押さえておきたいですね。
――食べ物に絶対の安全・安心を求めるのは無理があるということですか?
安井●
他の生物の中から、たまたま食べられるものを口に入れているだけですから、「100%の安全」などありえません。
多少のリスクがある方が当然です。
例えば、植物は昆虫などから身を守るために、体内に毒物を準備しています。
人間は賢いですから、毒性が少ない穀物や、ほとんど毒性のないコメを主食に選びましたが、
それでもやはり、食べ物にパーフェクトな安全性を求めるのは、思い上がりです。
特に現代人は、自分たちが他の生命を食べていることを都合よく忘れているようです。
もしかすると、もう生き物を食べているという感覚すら失ってしまったのかもしれません。
――とは言え、安全・安心問題は農家にとっても、消費者にとっても関心テーマではあります。
安井●
「安全・安心」と対の言葉で語られますが、本来はまったく異なる概念です。
安全ではないと分かっていても、安心していられることはありますし、安全であっても安心しないこともあります。
私が考えるに、安心は詰まるところ、「悟り」の中からしか生まれません。
人間と、人間に食を与えてくれる他の生物との関係を多少なりとも理解すること。
その中からしか安心は生まれないと思うのです。
つまり、どの程度のリスクがあり、どの程度まで安全なら、安心できるのかが問題で、食べる側が「無害な食べ物を供給せよ」と
叫ぶのはおかしいんです。
――なぜ、「絶対安全」というような感覚的なとらえ方が出てきたのでしょうか。
安井●
一つにはメディアの責任があります。
新聞・ニュースは、「社会で起きた新しい出来事を市民に伝え、警鐘を鳴らすのが使命」だと主張します。
彼らは「真実をバランスよく報道する」とも言いますが、実際のところ、人々を脅かすような情報は流しても、「安心」はあまり報道しませんよね。
読者を心配させないと新聞は売れませんし、ニュースも見てもらえませんので、仕方ないのかもしれませんが。
しかし、情報を受け取る側としては、報道は必ずしも真実ではないと思っておいた方がよいでしょう。
危険と言ってもピンからキリまでありますし、世の中にゼロリスクなどないのです。
――では農業者はどんな心構えをもっておくべきでしょうか。
安井●
BSE(牛海綿状脳症)や無登録農薬の事件を振り返れば分かるように、世間に決定的な不安感を与えるのは、BSEや農薬そのものというよりは、それらを巡る不法行為です。
農薬について言えば、法律を順守し、適正な範囲内で使用することが大前提で、もし100人に1人でもルールを破れば、農業界・農家全体の信頼性が崩れます。
不法行為は安心を失わせる最大の要因であり、そのインパクトの大きさを、強く認識してほしいと思います。
けれども、安全・安心論議の本質論は別のところにあるのです。
農業は「反自然的」と堂々とかたれ
――安全・安心論議の本質論とは?
安井●
さきほど、食べ物とは、地球上にある他の生物だと話しました。
そう考えますと、農業は、人間が効率よく食べ物を手に入れるために始めた一種の環境破壊と言えます。
自然の生態系の中にあった植物の中から、特定のものを抜き出して、栽培するようになったのが農業です。
また、農業は広大な面積で単一の作物を何年間も繰り返し育てたりします。
これも自然にまったく逆らった行為で、そんなことをして本来、植物が健全に育つわけがないんですね。
しかし一方で、農業には食物を効率よく都市に供給する使命があります。
なおかつ、これは経済活動ですから、生産は合理的に設計されていなければなりません。
そのためには、最小限の農薬は必要ですし、農家側はそのことを消費者に説明するべきなんです。
――無農薬栽培や有機栽培に取り組む農家もいますが、どう見ていますか。
安井●
無農薬でも作物はできないことはないでしょう。
農業には農薬以前の「古の知恵」があります。
除草などで多くの人力が必要となりますが、環境への配慮を訴え、作物の付加価値を高めて売るのであれば、それはそれで経済行為です。
無農薬に価値を認める消費者がいても不思議ではない思います。
ただ、農薬をあたかも「魔女」のように扱うことで、〝危険性〟を訴え、無農薬野菜の優位性、正当性をアピールするのは、
いささかずるいやり方だと思います。
――そのあたりに、農薬のリスクが冷静に語られない問題の核心がありそうです。
安井●
すべての農産物が無農薬で作れるはずだと考えるのは、無意味なことです。
私はむしろ「農業は自然に反した営みなのだ」と、堂々と主張する農家が出てこないかなと期待しています。
でなければ、いつまでたっても世間からは「農薬を使ってサボっている」と責められ続けますし、誤ったゼロリスク論も打ち消せない。
だいたい、消費者は「農業=自然」と誤解していますよね。
その思い込みを農業者サイドが便利に利用するから、なお困るのですが、畑は雑草に覆われているのが自然なのです。
市場は虫食いやキズのない野菜を農家に求めますが、そうであれば、農薬のリスクを招いているのは消費者の自業自得とも言えます。
それに、本当に農薬のリスクと日々向き合っているのは、散布している農家の側ではありませんか?
こうした議論を徹底的にして、逆に巻かれたネジを巻き直せば、すべての人がリスクと折り合いをつけられると思うのですが。
――そこから生産側と消費側の歩み寄りが始まるということでしょうか。
安井●
「生産者の顔」が見える売り方を、私は方向性としては否定しません。
「自分のために作ってくれたコメ」を食べるのは、消費者にとって最高のぜいたくですから、1対1の関係を作り、
安心を高い値段で売ってもいいのです。
しかし、それだけでは産業としての農業は成り立ちません。
生産者サイドは「農業=反自然的」という本質を知られるのを恐がっているようですが、農業の本質をもっと、
ナマの言葉で消費者に開示すれば、生産者と消費者は真実に向かって歩み寄れるはずです。
人間にとっては、食べなければ死ぬという現実こそ最も切実な問題なのですから。
(構成・秋山基)
投稿者 Eooo!事務局 : 2006年04月03日 17:24